流産した助産師の話

一度仕事を辞めて、やりたいことが沢山ありました
でも、あんまり出来ませんでした
再就職まであと1週間となり、なにかやることはと思って、Twitterでたまたま、流産したのに休むことも処置を受けることも出来ず泣きながら働いた看護師の新聞記事を読みました
それで、今のうちに、これを書こうと思いました


新聞記事は読みながらつらい思い出があふれでそうになって、必死にこらえた
流してたペダステは見続けられなかった
来月で1年になるけど、確かに悲しみはへったし、友達の赤ちゃんを見て可愛い、幸せそうだなって思う余裕もできた
でも、悲しみはゼロにはならない
今でも思い出すと泣きそうになるから、必死でほかのことを考える
ぬこに会いたいと思ったら、私だって同じように自分の赤ちゃんをだっこできてたはずなんだと思ったら、今打ちながら涙が出てしまった
友達の赤ちゃんを抱っこして泣くわけにはいかないし、確かにその時は幸せまんたんなんだけど、家に帰ってやっぱり、なんで私だけ、って思ってしまう


わたしは流産を経験した助産師です
仕事中に出血し、上司に伝えて外来を受診させてもらい、そこで心拍が止まっているのを確認しました
そこから涙が止まらず、何も考えられず、家に帰らせてもらいました
明日も辛かったら休んでいいよって言ってくれたのがとてもありがたかった
夫の会社に電話して、折り返しの電話に出たら夫が私よりも号泣していて
それにとても安心した
夫はすぐに帰ってきてくれて、家で二人で静かに泣いた
次の日は、行けるはずもなく休んだ
妊娠8週相当の流産
明らかに化学流産で、誰の責任でもない、自然淘汰で、仕方の無いこと
そんなの10000%わかってる、自分を責めないでの言葉、わかってる
でも、理屈じゃない悲しみとやるせなさが、そこにあった
いくら勉強してても、いくら同じような人を見たことがあっても、実際に経験するのは全く違った
涙が止まらなくて、横になっててもすぐに苦しくなって起きてしまって、眠れない日が続きました



私が苦しかったのは、じぶんが助産師という職業であること
妊娠がわかったときから、助産師のくせに、って言われないか、言われてもいないのに怯えていました
母子手帳をもらいにいった区役所の受付で、それを保健師さんに伝えて泣きました
嬉しいより先に、責任や、恐怖が私を押しつぶしました

次は、助産師という職場環境
周りには幸せそうな褥婦…見たくもない
この先私は、そんな人たちをケアすることが出来るのか?そんな人たちより、私の方がつらい
見たくない気持ちと、もう仕事に戻れないかもしれない恐怖は、職場に復帰してからもしばらく続きました
本調子じゃない時に復帰した夜勤は、休憩中ずっと涙が止まらなかった
ベビー室には、数ヶ月入れなかった



同じような境遇の人を見つけたくて、「助産師 流産」やら「看護師 流産」で検索しましたが、私みたいに押しつぶされてる人はたまたま見つけられなかった

それがますます孤独感をうんで、慰めて欲しくて投稿した妊婦の掲示板でも思ってたレスが来なくてとても傷ついて泣いたりして、ボロボロでした
今思えば、わたしは、専門職であることを踏まえた上で、専門職から慰められたかったのだと思います
おばあちゃんや、街中の普通の人が言ってくれるような声掛けは、正直、ごめんだったのです

残念だったね、また次があるよ
なんて言葉は誰だって聞きたくないと思いますが、よりによって私に言う?!助産師の私に言う?!そんな気持ちでした…



そんな私を、救ってくれたのが、区役所の助産師さんでした
なにかの書類を取りに行った区役所で、辛くてたまらなくなり、案内受付の人に辛くてたまらないからだれか相談できる人に会わせてくださいって泣きながら言いました
そしたらすぐ、助産師さんが個室を用意してくれて、私の話を聞いてくれました

何が救われたって、その助産師さんも、10年ほど前に流産を経験していたこと
助産師さんは、涙を流しながら私の話を聞いてくれ、まだ1週間しか経ってないのに元気にはなれない、職場もどう考えてもつらい、私はあなたにもっと休んでほしい、と言ってくれました
同じ経験をした人が、私の話を聞いてくれる…ほんとうに、救われる気分でした
さらに、その助産師さんは、今はお子さんがいるそうですが、ふと流産したことを思い出す時があり、泣きそうになるよと教えてくれました
子供がいても、大きくなっても、流産した悲しみは埋められるものじゃない
流産した悲しみは、言葉で言えないけど、とても大きな喪失感で、きっとずっと無くならない
でも、あなたは助産師だから、同じ悲しみを持った人にいつか出会ったとき、こういう風に気持ちをわかってあげられるねって


私が言って欲しかった言葉を、助産師さんはたくさん言ってくれました
気づけば2時間くらい話していたみたいでした

流産したとき、助けてくれた人はたくさんいたけども、私は一番辛かった時に欲しい言葉をくれたこの助産師さんにとても感謝してます
助産師さんに話を聞いてもらったから、いままた、助産師として働きたいという気持ちを抱けていると思います



流産がわかったとき、同じように流産したことのある先輩が介助についてて、私の一部始終を見てくれて、夜連絡をくれました
それが、とても私を慮ったもので
読んでて涙が出た

いつもクールなある先輩も流産経験者で、すごく痛かったっていう話を私と一緒に笑いながらしてくれた

上司は重い切迫でシロッカー経験者で、その時の話を泣きながら私に話してくれた

ある先輩は出産後涙が止まらなくなって精神科にかかった話をしてくれた

流産経験者、辛いこと経験者は、まわりに結構いると思います
笑顔の下に辛い思い出を隠してがんばってるんだなって思った
つらいけど、辛い思いを誰かと共有できると、少し楽になれます
わたしは、とても嬉しかったし、ちょっとずつ楽になれました
結局わたしは、三週間休み、その中で精神科にかかり、カウンセリングも1回行きました
精神科ではゾルピデムとなんか漢方をもらっただけだけど、医者の診断を受け、社会的に私は休むべきだと言われるのは安心感があるので良かったです
カウンセリングは、私の辛いことをただ話すだけで終わってしまい、時間の無駄かつ辛いことを思い出すことで苦痛の焼き増しでした
どういう形態なら私は癒されたのかいまでもわかりません





流産したことは、みんな誰かには言わない
でも、15%くらいの割合で誰しも起こりうるもの
だけど、看護師ですら、その割合は知らない
流産した人の気持ちは、流産した人しか、多分ほんとにわからない
しかも、流産が別に苦じゃない人も、確かにいる
あの人は次の日には来れたからあなたも来れるでしょと、言われる世界なのが、正直なところだと思う

でも私は、運良く助産師で
すぐに帰らせてくれて、結局三週間もお休みさせてくれた
そのあとも、婦人科や外来に配置してくれて、とても気を遣ってくれた
それは、私が助産師だから得られた環境なのだと思った
助産師じゃなければ、知識がなければもっと楽に生きれたのではって思ったことが何回もあった
辛いだけだと思ってたけど、振り返ってみれば、助産師でよかったことも確かにあったなと思う
今こうして私が書いた記事、なんかもう自分語りでよくわからないけど、助産師さんも流産してとても悲しくて辛かったんだってことが、同じように悲しんでる人の支えに少しでもなったらいいな







最後に、実際にぬこが外に出てくるときのこと

出血を確認してから三日後の夜でした
結構時間があって、その間仕事してたとしたらとてつもない恐怖
段々生理痛の強いのがどんどん来て、とりあえずトイレに座りたいってのと、うずくまりたいの繰り返し
破水するよと言われたので、夜用のナプキンを付けて防水シーツをベッドに敷いてました
ちいさなコアグラが出るばかりで大きなものが出る感じはなかなかなく、2時間くらいトイレとベッドを行ったり来たり
行ったり来たりなんて軽く書いたけど、ほんとに普段仕事で見てるとおりの痛がり方を自分はしていて、しかも初期だったからか陣痛の波があんまりハッキリしなくて、ちょっと気になる生理痛…からのすごい痛い波が長くとか、もうよくわからなかった
私は仕事で陣痛中仰向けにさせたり仰臥位分娩をしてるけど、絶対無理、四つ這いオンリーだなって思いました
とても汗をかいて、暑いけどとても冷えて寒くて
毛糸のパンツを履きながらクーラーをつけたり消したりしていました
夫は、私の腰をたくさんさすってくれて、トイレの外についていてくれて、ずっとそばにいてくれた
一人では絶対無理だったし、万が一勤務中にこれが来たら帰ることもできず最悪の思い出になっていたと思う
結局2時間くらい陣痛を耐えて、これは出たでしょ!と思うほどのコアグラを5~6回見送ったあと、明らかに今までと違う大きさのものが出てきた感触があり、ぴたりと陣痛が止まりました
それがまさに胎嚢で、そのあと血はダラダラ出たけどナプキンで対応できるくらいで済んで、なぜか弱ペダマンチョコを夫と買いに行ったのを覚えています

二人で大仕事をやりきった満足感と、やっとぬこに会えた喜びみたいなもので、その日はようやくぐっすり眠れた気がします



もうすぐぬこが生まれて1年
10ヶ月間が長すぎて恐怖しかないし、産まれてからも死にはしないか怖くてたまらない日々ばかりだと思うけど
ぬこに会いたいなと思う日が、最近増えてるので、叶って欲しいと思ってます



長々と自分語りを読んでくださりありがとうございました