推しという言葉が嫌い

ずっと書きたかったテーマ


推しってなんだよって話



私は推しという表現が嫌いである
嫌いである、っていうか、自分の好きのスタンスに合わないので、この言葉が蔓延ってることで自分の気持ちうまく伝わらないんじゃないかと思ってとても迷惑している
Twitterではよく話題にするけど、推しってAKBとかから来た輸入言葉だから、若手界隈やオタク界隈にはそぐわない気がまだしている
とりあえず、わたしは、かつて佐藤永典をとてもとても応援していて、ファンの中でも精鋭の部類には入るんじゃないかとは自負していた
しかし、佐藤永典を、『推していた』か?と問われたら、推してはない
推薦しては決していない(私は推す=推薦する、というニュアンスを一番感じてしまう)

もちろん彼は人間的にそもそも魅力的で、今離れてしまったけどつらい時には佐藤の眩しさを思い出して(能力的に、経験的に)近づきたい、負けたくない、佐藤に誇れる自分でいたい、とまだ思っている
デビュー当初は歌えない、踊れない、落ち着かない、などなど出来ない子キャワワの部類だったけど、どんどん話せる、アドリブに耐えられる、自分の世界を広げられる人になっていき、こんな素敵な、どこに出しても恥ずかしくない佐藤(2012年の頃の話、いまはどこに出しても恥ずかしくないどころかもう立派な俳優すぎて私はただただ感激するばかりです)は素敵なんですよ!!!と、広報はしたが、推薦はしてない


広報と推薦の違い
広報→一般に広く知らせること。
推薦→よいものとして人にすすめること。

このニュアンスが、私が『推し』という言葉を極力使いたくない理由なのだと思う

広報、沢山したい。その人の魅力を知って欲しい。知るだけで、興味を持つだけでいい、知らない人からこういう人、に意識が変わるだけでいい。好きになるかどうかは、相手がその人を見て、心が動かされるかどうかに委ねられているから。

良いものとして、こんなにいいんだから好きになって!っていう、自分のフィルターがかかってる気がして、人にも好きになって欲しいってきもちがはいってる気がして、推しという言葉は使いたくない。

簡単に好きになって欲しくはない!
誰にも彼にも好きになって欲しいわけではない!
ただ、魅力があることを伝えたいだけ。
この微妙な差、とても私は大切にしたい。
人に勧められて好きになるのではなく、自ら選んで好きになって欲しい、ってゆうか、恋も沼も、落ちるものでしょ?好きって、自ら勝手になるものでしょ???


そんなきもちがあるし、もちろんファンでもない人に渡したくないという、ガチ恋ではなく本気厨でもないけど、私たちのものであってほしい感、はもっている(半分本気厨というガチ恋の人からぶん殴られそうな表現を当時していました)ので、私は自分を表現する時何が一番しっくりくるかといえば、『厨』でした。
まあそのときそこそこにちゃんはやはり活性化してた時代だったしね
時代ももちろんあると思いますが、やはり厨がしっくりくる
佐藤厨


2番目に好きなのは川隅美慎でした(はい財前ファンですよ)
じゃあびしん厨だったの?と言われたらそれは違くて、びしんファンだのびしん好き、と表現していたように思います


3番手はたーわんだったかな?今泉田くんとして再会したらまあ立派な先輩になって、うちの妹は河原田様と呼んでるし、もうあんな、天然で星型の部屋に住めば?ってほど端っこに座りたがってた面影全くなくなってほんと時の流れを感じたけど、たーわんも当時たーわん好きとかたーわんファンと表現してた、かな


アミューズに関しては網厨とは言ってたかも
ゲームだのハンサムだの行った暁には完全なる網厨、アミューズ箱推しではなく、網厨
はてなでハンサムは裏カジノって超絶うまいこと言ってた人がいたけど、まさにそのニュアンス、アミューズ好きな人と、アミューズ大好きなアミューズの若手だけの世界でラブアンドピースしたい、だからアミューズ
びしんも、ヒートアップしてきたときはびしん厨だったかな、月5でイベントや舞台行ったときとか
つまり、何が何でも好き!会いたい!会いに行って、幸せになりたい!!!という気持ちが強い時は厨という言葉を使ってたように思います

厨、から溢れ出る何が何でも感、が好きです



でも2018年現在、推しって言葉があまりにもメジャーになりすぎて、ほんとに生きづらい

ペダルにハマって、総北推し、これはまだ分かる
私総北推してます!なら、まだ比較的抵抗なく使える
でも実際は総北応援してますだから、ちょっと違う
みんな好きだけど応援してるのは総北、のニュアンス

では、私の好きなチーム2人、推しか?どうか?私が推薦するまでもなくみんなもう好きだから!!!!新参者のわたしなにも推薦してないから!!!!推してねえから!!!!好きなだけだから!!!!
この、好きなだけ、勧めてはない、っていう感情、好きの意味をしっかり伝えたい派としてはとても苦しいです
早く推しって言葉に変わる素敵な表現が台頭しないかな…



私はこの時代でも、〇〇好き、という古臭い表現を使い続けます。