スキップとローファーを読んで自分の中高時代に思いを馳せた

こんなに悩んだかな?!ってくらい、私の高校生活は楽しさしか無かった
唯一高二のとき、部活の部長と委員会の委員長と文化祭と扁桃炎が重なったとき、私は個人として見られてる気がしないみたいなのに陥ってしくしくしたくらい
私は友達と環境にとても恵まれていて、いつも等身大でいれたし等身大の友達と仲良く過ごせていたなあと振り返ったわけです

ただ、私にも自分の自我が友達の自我に追いついていない時期があった
中一~中二のときだけど、その時できた友達が大人になってから思い返すと自分との精神年齢というか物事の解像度が違ったなと思う
いやむしろその友達の方が年齢にそぐわない大人びた解像度の持ち主だったのでは...と思ってしまうくらい、とても好きで仲良しだったけど、理解できない注意?を書かれた手紙を度々貰っていた

・誰と帰るとか約束してるわけじゃないから友達Aと帰ったら、なんで先に帰るの?と言われた(小学校では誰と帰るとかその時のノリだったから同じようにした、友達Aもえっ?てしていた)
・3人でいるとき、その子と友達Bが自分たちは〇〇という話をしてたから、私は〇〇じゃないなぁーって言ったら、後日「わざわざ〇〇じゃないとか言わなくて良くない?突き放された感じがする、もっと寄り添って(意訳)」みたいな手紙を貰った。当時はその手紙の意味がわからなかった。〇〇にはくせっ毛とか乾燥肌とかそういった類の言葉が入ります
・腐れ縁だねと言われたから腐りすぎてるかもね!と返したらその言い方はなくない?!と一方的にキレられた
12歳の私としてはずっと一緒にいて仲良すぎるね!って意味で言ったしそれを言った時笑顔で和やかな雰囲気だったから突然キレられて意味がわからなかった
今思い返しても、彼女がどういう意味で捉えたのかよく分からない
あらためていま調べてみたら切っても切れない好ましくない関係と出てきたが、それなら腐れ縁という言葉を出した彼女の方が酷いことを言っているのでは...?
中一そんな深いこと考えてないよ...???


とまあいろいろ細かいこともその他沢山あり、仲良くしたいし仲良しだけど、自分が普通に振る舞うことで知らないとこで傷つく人間がいることを初めて知った
でもその子は右手を怪我したときに筆記用具を持ってこなかったのでそもそも変わってたのかもしれない(握れなかったとしても左で書くかもしれないし普通は一応持ってくるだろ...)
仲良くしたいし仲良しだけど、その子が持ってくる色々がちょっとめんどくさいなって思うこともあり、人生で人間関係で悩んだとしたら間違いなくここだけ

CD2枚予約したから1枚買わない?と言われたときとか...大混乱
このときの私、お小遣いすら貰ってなくて必要な時申告制。そのCDは確かに聞きたかったけど貸してくれるんじゃないの?という気持ち、そもそも自分だけで決められない選択肢・自分の考えが分からない選択肢を友達から提示されるとは思わなかった。結局その後貸してと言いにくく、私はそのCDを自分でTSUTAYAで借りるまで聞くことは出来なかった、今となってはどーでもいいけど聞く?って言ってくれてもいいし、そろそろ家庭の雰囲気もわかってくるだろう時期の中一に3000円のCD買ってって言う無神経さもどうかと思う




結局そのあとなんやかんやあって、私は進級後のクラスで出来た全く新しい友達が今も交流の続く友人たちになり、そこそこ人生経験もつめたおかげか何も恐れず発言し喧嘩したり仲直りしたりしながら等身大で過ごせるようになったのです

高一くらいで彼女と遊んだときは私も成長したからかあまり齟齬は感じなくなってた
大学生になって会ったときには、私の自我が彼女の自我を越してしまったんだと思った
そのときのやり取り
・いま⚫⚫にハマってる~って言ったら、えーなんでみんな⚫⚫にハマるの?△△に来なよ~、と普通に私のジャンルをディスられ自分のジャンルのマウントを取ってきた
看護学生だったので医学部の知り合いもおり、その医学部生はカテキョのバイトしてるよ~と世間話をしたら「頭がいいからって教えるのが上手いとは限らないよね」「医学部だからって時給高いの意味わからない」と自分の同級生や先輩をダイレクトにディスられた
このふたつのやり取りを経て、あ、私もうこの子と会うの無理、ってプッツリと情が覚めました
自分の物差しでしか測れない子なんだなってのがわかった
中一の私はもしかしたら悪くなかったのかもしれないなって思った
もちろん楽しいことも沢山あったし、新しい世界をたくさん教えてくれた子ではあったけど...面倒な子でもあったな...



ずっと彼女のことを書きたかったんだけどなんか引っかかって書けずにいた
でもなんかもうどうでもいいやってなって書いた