なんか考えた

こどものこと
発生してるなら愛情持って大切に大切に育てるけど、今この世界、わざわざ無から生み出そう!という意志を持って誕生させる価値のある世の中なのかと聞かれたら、私はイエスとは思わない
私は生きるのを楽しんでるし、生きててよかったーと思うことたくさんある
でも、生まれなかったらそれは味わわなくてもなんとも思う余地もないわけで
日々更新される呆れるニュースやら将来の不安やら、今後好転するとは私には思えず、産まないことが愛なのでは──────────とわりと本気で考えているのだ



しかしながら

32歳になった
新年度から新職場
1年働いてから産休育休としても34歳になっていることを考えると、きっとここ数年がまた悩みどころなのだと思う
ということを昨日か一昨日考えていて

ふとKalafina光の旋律の歌詞を読みながら歌っていたら

誰かが君のため 歌った幸せの 和音(コード)

って歌詞で泣いてしまい
わ〜…!!!!!!てなった
人の幸せをひたすら死ぬほど考えたい!!!!!!みたいな気持ちにきっとなるとき、その存在があればどれだけ救われて幸せなのだろう、みたいな新たな切り口がうまれたわけよ


幸せはきっと 次の坂道で 君の不意をついて キスをくれるよ


ってのも優しくて涙が出る
次の坂道があっても、キスをくれるならそれは転がり落ちるだけじゃないんだなって思って




この世界がどうとか生きる価値とか産む理由とか欲しい理由とか考えてたけど、私が何をしたいかみたいなところを色々考えたら、何かを愛したいとかそういう気持ちはゼロではないわけで
ただ愛するのには金も時間も体力も社会の協力もいるぞと、そういうわけで
私が好き勝手自分の気持ちに素直にいられる環境があれば、いたら嬉しいものなのかなとは思うのだ



例えば
両親は実家の自営業を辞めたので時間が余ってるので私は保育園に入れることなく世話をしてもらえる、保育料は園でも国でもなく親に支払いwin-win
そのおかげでそこまで収入が減るわけでもなく仕事復帰してローンも何とか払えてるしそれなりに買い物もできるさ
子供部屋?最悪あの趣味棚を寝室に…うつすとか、子供が欲しいらしい夫がどうにかするとか、私にはそんなこと知ったこっちゃねえ、ダイニングのテーブルででも宿題しろ
あ、そうなったらエトワールちゃんはさすがに現役ではいられないか…寝室につけるか…それもいいかもね
いずれにせよ自我を持つまで7年あるから、まだ考えなくていいのだ
そんなに、考えなくてもいいのかも
私は私で生きるし、こどもも勝手に生きるだろう、というか、勝手に生きられるようにするのだ
そう考えたら、まあ、ハードルは少し低くなるかなあて感じ
でもどう考えてもボンディングスコアの赤ちゃんを身近に感じるかって質問は、あ、どうもこれから長いことお世話になりますよろしくお願いします…って感じになる気がするのよな