1週間ぶりに仕事にいきました
1週間のお休みが長いのか短いのか、わたしにはわからなかったけど、これ以上休んだらもう仕事に戻れないと思っていった

駅でひろんと別れるときないてしまった
ぬこのお守りを握りしめて、がんばってあるいた

主任の顔みて、がんばったねっていってもらって、泣いてしまった
わたしは助産師で、産婦人科で働いてる
だからこそ、1番戻りたくない場所だし、1番わかってくれる場所でもある

かんじゃさんのところにいくときには、手が震えた
ちゃんと笑えてるかな?不安にさせてないかな?ちゃんとケアできるかな?って
点滴も3人刺せた
でもそのうちひとり、お産の人だった
頼まれた
いいけど、やるけど、部屋に入る前に深呼吸して、震える手を抑えて、泣き出しそうになった私を、わかってくれたかな?
見たくないよ
私の方がいたかった
でも、痛み悲しみはしゅかんのものさしだから、比べてはだめ
だけどね、つらかった


ベビー室にきてっていわれて、ベビー室でなくても出来る話をされたときもつらかった
入りたくないよ…なんでわからないのかな
見たくない気持ちは当然だよね?許されるよね?
それでも、みんなが幸せに産んで育てられることを祈ってるよ私は
でも今はつらいだけ、許されるよね?


ぬことひろんとゆっくりしたい
つらい
経験した先輩、妊婦の先輩は気づかってくれて助かった
話を聞いてもらえて、救われた
少し笑顔も出た
でも辛かったことばかり思い出してしまう
あの場に行くの、つらいんだよ?
ausの人が来たら、ベビー室カーテンしめるよね?
なんでわたしは、ベビー室に入らないといけないの?
もうやだ
ちゃんと笑顔で戻れるように、今は入らなくてもいいようにしてほしい
明日は、そう言おう
お願いします

昨日お外に出てきた
すごくすごく痛かった
いつも間近で見てるけど、こんなに痛いなんて知らなかった
どうなれば、いつになれば痛みがなくなるのか
いつぬこがでてくるのか
なにもわからない

何か出てきても、また次の痛みが来たらぬこじゃないってなる
すごく長かった、つらくて、かなしくて、痛かった


ぬこが出てきたのは19時02分で、私が朝だか夜だか忘れたけど7時2分うまれだから、お揃いで出てきたんだと思った
思わず出てきた時間だけは、何時?!って叫んで見てもらった

その後見たことないくらい出血した

この四日間のこと思い出すと何が何だかわからない
昨日の痛みのこと思い出すとわけのわからない気持ちで押しつぶされそう
お腹も気のせいかもだけどぺたんこになった気がする

出てきた胎嚢は、どこがぬこだかよく分からなかった
ごめんねぬこ
ありがとうぬこ
早く戻ってきてくれるのを待ってるよ
ごめんね、ありがとう



ずっとずっと助けてくれたひろん
すごく感謝してる
誰よりも心強いと思った
本当にありがとう

やっぱり変わってなくて心拍はなかった
7週から9週になったくらいだから、先週くらいにはもうしんじゃってたみたい

そっかあ
1週間も気づかなくてごめんね
健診はやめてもらっておけばよかった

今さら、大事になったって遅いのにって思うとつらい
もっとわーいわーいって喜んで、いっぱい撫でてお話してあげたらよかった
いらないなんて言わなきゃよかった
整理がつかないけど、まだお腹にいるってことはまだ一緒にいられるってことだから
今からワーイワーイすることにする
大事にする、一緒に過ごす、お話する
それしかできることがない


一緒にミラコスタ行って、シー行って、温泉いって、うなぎ食べて、楽しかったね
キンプラ見て、ペダル読んで、楽しかったね
温野菜もアムリットもおいしかったね
もっと共有したらよかったね
忘れ物取りに帰ったっていうなら私もかなりのものを忘れてた
今回はお互いうっかりだったんだよね
次は絶対喜んで見つけてあげるね

出血してきれいにお外に出てきてほしい気持ち半分、もしかして何かの間違いかも、切流なだけかも、出血して欲しくない気持ち半分

こわい


この1ヶ月であまりにもめまぐるしく人生が変わりすぎてどうしたらいいかわからない

出血した

昨日何気なくトイレに行ったら出血していた
赤い血だった
そのときはまだ、あ、安静にしなきゃかも、分娩とるの今日は外れられるかなくらいにしか思ってなかった
主任に言った、念のため受診できるよ?と言われ、こんな状態でお産とるのも落ち着かないからうちの外来を受診した

この程度の出血で、そう思ってた
自分のこととなると心配になるなくらいの


エコーしたら明らかに心拍が見えなかった
カーテンの向こうで先生が困ったのを感じた
診察介助の先輩を呼んで一緒にビートを確認してたけど明らかに見えてない、とまってた
ああ、やっぱりか、って思った
つわりがないし生きてるか死んでるのかわからない
ずっとそう思ってた
もし稽留流産だった時の自衛もあったのかもしれない
入院してくる人はみんな稽留流産だから、死ぬときは血がないパターンの方が多く見ているから
そんな事考えてたら涙が出てきて何も考えられなくなった
流産を経験してる先輩が介助してくれて、わたしを一人の部屋に連れてってくれて休ませてくれた
助産師さんって優しいなあ助かるなあって心から思った
帰る時もみんな心配してくれた
旦那に電話したら泣きながら折り返しがきた、うれしかった


ままに迎えに来てもらって帰った
染色体異常だから仕方ない、確率的にはよくある、学問的にはわかってるんだ
でも怖い、出血多かったら怖い、うっかり生きてないかなって思う、せっかく楽しみになったのに、嬉しくなったのに

旦那帰ってきて頭痛くなるまで泣いて寝た
よる先輩から優しいラインがきた
夜中は眠れなかった、涙がたくさん出てきた


9週だから、誰のせいでもない
私もぬこも悪くない、それはわかる、理解してる
あんなタイミングでよく着床したな、よく私に耐えたなって褒めてあげたいなと思う

でも私が最初に思った死ね死ねって感情はなかったことにはならないから、それだけが後悔してる
最初から喜んであげたらよかった
いらないなんて思わなければよかった
いまさらだけど

マタニティマークを使ってみる

当初抵抗があったものの、嫌悪感がだんだん薄れ、死なれても困るくらいになってきたのでお出かけの際付けることにしました

もし出先で事故って、ボルタレン湿布されたり知らぬ間にレントゲンやらCTやらとられてたらつけとけば良かったかなあってなるし…今のとこ睨まれてない

極力隠しながら付けて、事故った時に見つかれば良いなと




生活してみて思うが、常に母子手帳持っててねってすごく面倒なことと初めてわかった
絶対無理やで